それでもどう生きるかは勝手。

年末ですね。。

書きたい記事も、いろいろあったんだけど、書けなかったと思う今日この頃(そんなに必死でも無い)。

 

年末になり、何かと飲み会をすることが多い。

懐かしい人や様々な人に会う時期。

この時期に、私は人間性という部分を見ることが多い。

その中で、来年付き合いたい人を見ているというところもある。

そう、私は精査する。

第一に切り捨てる人が「下方比較」する人。

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物事の比較方法なんだが。これが、めちゃくちゃ人間性が現れる。

「付き合う人を選ぶ」というと「上から目線」とか「自分本位」とか「自意識過剰」とかと思う人。

この人たちには、「下方比較」の人が多い。

別に私だけが選んでいるのでは無くて、あなたも選べばいいのだから「付き合う人を選ぶ」という人と付き合わなければいいだけ。

さて、論理で、鬱陶しい部分は潰したので、本題。

「下方比較」とは、「社会的比較理論」という論理で。。って語っても面白くないので、簡単に言うと。

あなたが、年収300万だった場合に、上と比較するか、下と比較するかという話。

別に、人それぞれだが、私は、「下方比較」する人間とは付き合わない。

それを論理的に説明する。

1.「下方比較」の脳から考えられた「発想」をインスパイアしたくない。

「下方比較」をする人の発想は、はっきり言って乏しい。

それは、先ほどの年収の話からもわかる。

年収300万の人間が「下方比較」をすると、契約社員や派遣社員だろう。

そこで、年収240万くらいと比較して「私はマシだ」と思うのだ。

何の「発想」も生まれない。

ただ、「上方比較」し、年収400万の人と比較すると、「どうすれば」という発想になる。

この時、「いいなあ」だけの人間も切り捨てる。これは、発想力の欠如でしかないし、本音を出さない人のどちらかだから。

この時期の飲み会で、「どうすれば」と考えている人間と、「私はマシだ」と思っている人間の、来年の「生産性」はどう考えても前者の方が価値がある。

本音を出さない人は、とりあえず、回数重ねて飲みに行かなければならない。その上で、「上方比較」の可能性もあれば「下方比較」の人間の可能性もある。

そんなところに費用をかける必要はないし、年1回飲んでればいい。ただ、9割が「下方比較」の人間だ(主観です)。

 

相手が本音なのが前提だが、簡単に切り分ける質問は、「あなたは何をしたいの?」とか「あなたの幸せは?」と聞くと一発でわかる。

例として、「下方比較」の人は、「まあ」から始まる。「まあ、ぼちぼち稼げて。。。」「まあ、家族もあるし。。。」

「上方比較」の人は、「けど」か「行く行くは」で終わる。「まあ、ぼちぼち稼げて。。。けど、将来も不安だから何か始めたいんだよね」「まあ、家族もあるし。。。けど、行く行くは独立して。。。」という人間だ。

 

2.「上方比較」の脳から考えられた「発想」を繋げていきたい。

例えば、100人くらい飲んで、「上方比較」の人間は20もいないくらいの人間しかいない(主観です)。

ただ、最近は、50%に増えてきた。

なぜか。

毎年、「下方比較」の人間を切り捨てると、比率が必然的に上がっていく。「上方比較」の人間とは毎年飲むから。

そうすると、「どうすれば」という発想の集まりができる。

これが、面白い。

繋がりが、繋がりになり。そのまま、それぞれの人の能力が「アイディア」になるケースが多い。

飲み会の流れで「面白い!やってみよう!」の流れができる。

飲みの場でも、来年、目ざとい展開が無い場合、協力してくれる人間は多くなる。

この辺は、めちゃくちゃ重要。

うまくいっている人間には、「コミュニティー性」。うまくいってない人間には、「共産性」と切り替える。

うまくいっている人間は、それだけでも忙しいので、そこに「共産性」を求めても現実的な「発想」には至らない。なら、その人の「コミュニティー」に期待して、人材協力として、話を持っていく。

当然、この人たちも「下方比較」の人を切り捨てている。

うまくいっていない人間は、「アイディア」を探しながら、「組み合う方法」を探している。この人たちが、現実的な来年のパートナーになる。

この人数は、提案を受けることも考えると、多ければ多い方がいい。

 

3. そもそも「下方比較」には価値が無い。

はっきり言っちゃうと、これに尽きる。

下ネタだが「下方比較」は結局、○ナニー好き。自慰に必死。w

下つながりということで(座布団ください)。いいかもね。

ただ、「下方比較」を変えたいという人は、そもそも自分を見直す必要がある。

例えば、Aという人がいて、Aを見た時に、似ている芸能人を考える(話のネタとして)。あなたがそれを話のネタとして話をして、Aにとって不本意(あまり嬉しく無い)かもしれないというニュアンスを感じるかどうか。

そう、これはネタであろうが、何であろうが「不本意(あまり嬉しく無い)かもしれない」という時点で、話にする必要が無い。

なら、「上方比較」になる話(相手が気持ち良く思える方向)を考えようと「上方比較」の人間は考える。

あなたにとっては、そんなつもりは無くても「下方比較」をされたと思うと、Aが仮に「上方比較」の人間の場合、あなたが一発逆転の宝くじを当てても、二度と飲みに行くことは無いだろう。

私の場合は「下方比較か」って思うだけで、次の日、会話も顔も、覚えていない。

面白いもので、「久しぶり」って声かけられて「下方比較」の人間は「誰?」ってなる。が、「上方比較」の人間は絶対に覚えている。

もう、脳が勝手に「下方比較」の人間を切り捨てて処理しているのだろう。

わかるだろうか。

重症的に「下方比較」を行う人は、対人に対しても同じで。それに慣れているため、こういうボロをすぐに出す。

これこそが「人間性」。表面だけ取り繕っても結局は「下方比較」の人間は、「下方比較」の人間しか相手にしていないのは、これ。

この「下方比較」から生まれるのは「内弁慶」「お局様」だろう。下ばかり見て、上を見ていないから、笑われていることすら気がついていない人たちだ。

それは、そもそもの考え方が「下方比較」に染まっているので、治しようも無いだろう。一生、普通に働いても、そこそこしか金を持つことのできない人間なので、金が欲しいなら方法を変えるべきだろう。

感性や、独創的に走って稼ぐような方法へ。

 

4. それでもネットやメディアでは、本質的に「下方比較」をすすめる記事が増えている。

なぜかって、簡単で。「上方比較」側の人間が「下方比較」の人間を認めることで、それを商いにしているだけ。

結局「下方比較」の人間は、市場でしか無い。

その「下方比較」の人間が市場を作ることは一生無い。

 

5.それでもどう生きるかは勝手。

このタイトルをどう捉えるか。

これは、「下方比較」にとって都合のいいタイトルをつけているだけにしか過ぎない。

その上、この「5.それでもどう生きるかは勝手」というタイトルをつけた私の思想は「上方比較」だ。

ここから先は、それこそ「みなまで言うな」というところだろう。

 

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